ヤフー株式会社 代表取締役社長
宮坂 学様
MANABU MIYASAKA
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ネットを見ていたら逃げ遅れたなんて、あり得ない。
トシ
ヤフーに入る前、ヤフーにコンテンツが増えていく様を違う会社から見ていたんですけど、検索結果にあらゆるポータルへのリンクが貼られていましたよね。
宮坂
ありましたね。
トシ
思いついた人はすごいなって思うんです。実際にやったら、じゃあヤフーでいいや、となってしまう。あれも井上さんが関わっているんですか?
宮坂
関わっています。有馬さんが、どうしてそんな敵に塩を送るような真似をするんですかと尋ねたことがあるらしいんです。そうしたらこの時も、とりあえずヤフーを使ってもらえる状態にしておけと。
トシ
その当時、私はまだexciteにいたので、これをやられたらひとたまりもないと脅威に感じていました。便利だから、みんなヤフーにいけばいい。これは天才的なアイデアだと思いましたね。
宮坂
そうしたアイデアって、いくら本を読んでも書いていないだろうし、自分の頭で考えて組み立てていた気がするんですよね。インターネットはこうあるべき、というビジョンを自分で考えに考えて。理屈として水は高いところから低いところに流れる、そうした公式があって、そこに沿って忠実に進んできたように思えます。
トシ
それで思い出すのが、災害情報や地震情報です。テレビを見ていたら速報が出るのに、ネットを見ていたら逃げ遅れたというのはあり得ない。井上さん、そうよく言っていたじゃないですか。あの発想がすごいなと。それってネットを使っている人を大局から見ていてこそ、出て来ると思うんです。ひとつのサービス担当者のレベルでは、絶対に持ち得ない視点というか。
宮坂
結局、ヤフーの全ページに差し込みました。
トシ
今となっては当たり前になりましたね。
宮坂
ただ当時は、全ページに地震や津波のアラートが表示された際、ユーザーが一斉にクリックすると飛び先が落ちる。まだ技術的に限界があって、大変でした。
トシ
そうした中でも、全ページに入れてしまうのが、やっぱりすごいと思います。
宮坂
独特の目線でインターネットをやっていた人でした。
トシ
いまだに地震速報とか見ると、すごいなと思います。
宮坂
初期の頃の話で言えば、私は最初「Yahoo!ファイナンス」の担当で、次に「Yahoo!スポーツ」を手伝うことになりました。ちょうど2002年のワールドカップを控えていたこともあり、それならサッカーに注力させてくれと掛け合いました。すると、まずサッカーよりも相撲をやれと。「え、井上さん、相撲好きでしたっけ?」と尋ねたら、『オレは男の裸ほど嫌いなものはない』。
トシ
シーンが浮かんできます(笑)
宮坂
そこで言われたのが、サッカーは年間40日ぐらいの開催だけど、相撲は15日の6場所だから90日ある。更新頻度を考えると、相撲をやった方が得に決まってる、と。一事が万事、そうした理屈に基づいていて、なるほどと感心していました。
トシ
初期の頃はスタティックなHTMLでインターネットはできていました。そこからコンテンツを駆使して訪問したくなるサイトを作ろうと、みんなが考え始めていましたね。だからダイナミックに変わっていくコンテンツというのは、大局観で言えばすごく正統な進化だと思います。
宮坂
ただ、当時はそのダイナミックに変わるコンテンツを手でつくれと言われて・・・。ひたすら手作業で打ち込んで作り上げていましたね。
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