元 楽天株式会社 取締役 常務執行役員
カーディナル合同会社 代表社員
安武 弘晃様
HIROAKI YASUTAKE
5年後10年後のキャリアパスが見えてしまい、
会社が急につまらなく思えてきた。
井上
安武
東西長距離分社化をする前、日本電信電話株式会社のマルチメディアビジネス開発部というところに配属されました。仕事はOCNに付加価値を加えるための小さなサーバー製品を、中小企業向けに開発して売るところでした。マルチメディアビジネス開発部には goo のようなインターネットサービスを行う部署もあったのですが、私はそこには配属されませんでした。もし goo にアサインされていたら、もっと長くいたかもしれないですね。
井上
なるほど、つまらないので辞めてしまったのですか?
安武
私が担当したプロジェクトは、「FAX をサーバーで受けて電子化してブラウザで閲覧する」というものだったのですが、電子メールが主流になる中、古い技術に取り組むのはやはり前向きにはなれませんでした。
井上
安武
その後、1年くらい経って本城さんに呼ばれて「飯食おうよ久しぶりに」と言われました。でも出かけて行ったら、三木谷さんに「じゃ、行こうか」と連れてかれて。そこで「大企業はつまらないでしょ」と切り出され、そうですねと答えたところ、「はい内定書」と(笑)。
井上
安武
1998年の春です。10月1日が正式入社なんですけど、退社するのに時間が必要でした。実質的には楽天のオフィスの引っ越し業務に7月から関わっていました。当時は、こちら(ユニナレ)のオフィスプラスαぐらいのサイズで、床はがしてケーブル引いて、とやっていました。
井上
安武
はい、その頃です。楽天が少し拡張するために、オフィスを借りて社内ITをつくっていました。懐かしい話です。
井上
安武
後悔は全然ありません。リクルーターを担当した際に、5年先、10年先の働き方が見えてしまい、それも辞める決め手になりました。
井上
安武
先が見えない方が好きなので。見えるとつまらないですから。
井上
安武
そうしたルールが好きな人もいますし、それが安定した会社の価値でもあります。でも何かこう、合わない人もいますよね。
井上
きっかけは非常に良くわかりました。ところでNTTにいた頃は、開発というか、何かつくったことは・・・?
安武
SEのような仕事というか、本社系のプロダクトの設計を担当していました。支店の営業が売るためのプロダクトの企画担当をして、ベンダーと折衝して、実際に売ってクレームが出たらトラブルシューティングをして・・・製品の解析や G3やG4のファクシミリのプロトコルなどを勉強していました。
井上
安武
そうですね。典型的な大企業のSE、サポートエンジニアです。セールスエンジニアとも言えるでしょうか。
井上
安武
私はプログラムをあまりかけなかったんです。10歳くらいからやってはいたんですが、コードをかけるわけではなかったし、大学も数学専攻だったので、教授もコンピュータには詳しくありませんでした。だから私の最初の名刺は営業企画だったんです。
井上
安武
立ち上げの時に、三木谷さんに誰かちゃんとプログラムかける人知らない?と言われ、恵比寿にある東京出版というところ、私が一時期バイトしていたのですが、そこの凄腕プログラマーを紹介しました。するとすぐ楽天に転職して、その人が最初のコアエンジニアになりました。実質、第一号のエンジニアですね。私の師匠です。
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