元 楽天株式会社 取締役 常務執行役員
カーディナル合同会社 代表社員

安武 弘晃

HIROAKI YASUTAKE

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立ち上げ時の楽天市場は、カタログ通販のWeb版。
インターネット上の百貨店を意識した。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

ではビジネスモデルについて、お聞きします。もともと楽天市場のモールのアイデアはどこから?

安武様
安武

三木谷さんがハーバードへ通っていた頃に、原形ができたと聞いています。「ネットで世界が変わる」という確信のもと、ショッピングモールを作ろうと。ECビジネスはカタログ通販より大きくなるという、仮説を立ててのことでした。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

たとえばアマゾンが本を売り始めたように、自分たちで売るのと、モールで売るのと、検討した結果でモールを選んだわけではないんですね。

安武様
安武

そこは三木谷さんと話した記憶はないですね。まずシステム作ってモールでした。対談風景

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

でもそれが世界でいちばん上手くいったというわけですよね、特にこの日本では。

安武様
安武

そのあたりは、三木谷さんと本城さんが議論したんだと思います。楽天市場を4月1日にオープンして1000店舗集めるというのが当初の目標でした。でも現実には5月1日のオープンで13店舗。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

ショッピングモールは日本にまだなかったんですよね?

安武様
安武

いや、ありました。凸版モールをはじめ、複数のモールが稼働していました。中でも凸版さんのモールが、いちばん早かったと記憶しています。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

でもやっぱり、アイデア自体よりも、それを実現する力が常に問われるじゃないですか、特にインターネットだと。「それ知ってたよ、思いついたんだよ」という人はすごくいますが、やったのかよ?というところですよね。

安武様
安武

ほんとうにそう思います。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

そしてマーチャントを集めよう、ということは、間に立つだけで実際の顧客対応はマーチャント側がやるわけですよね。そのへんのお客様対応まで、きちんとできていたものなんですか?

安武様
安武

立ち上げ期はフォーマットもなくて、ものを売る人も買う人もEコマースがよくわからない。だからどうしても間に入らざるを得なかったですね。そもそもメールの使い方もわかりません、だったり・・・。

実は、初期のシステムは「電話番号を表示してお電話ください」という、カタログ通販を Web にしただけのものでした。「店舗さんがネットで受け付けてもよいです」という設定をして、初めて買い物かごにいれるボタンが表示される仕様でした。カタログ通販のインターネット版のように、既存の概念に落としこまないと理解ができなかったんです。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

決済はどうしていたんですか?

安武様
安武

それは最初からクレジットカード決済です。けっこうチャレンジングでした、誰が登録してくれるんだろうと。自分だったらいやでしたから。銀行振り込みも、後払い、前払い、両方対応していました。

理由は忘れてしまいましたが、店舗さんが倒産したか何かの事情で、お客様が注文した食器か何かが届かないという問題が発生しました。そこで三木谷さんが自分で百貨店に行き、同じものを探して買って届けた、という話もありました。当時はモールとしての責任と、マーチャントとしての責任の線引きは曖昧でした。対談風景

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

日本のデパートって、場所貸しじゃないですか。あれを意識したということは?

安武様
安武

そう、それはあります。インターネット上の百貨店をつくる、とは言ってました。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

どこまで来たときに、「このまま成功しそう」とわかりました?

安武様
安武

出店社数が増え続け、継続して商品が売れ続けるという方向性が見えてきたとき、ですね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

どこかで大きな谷間があったりはしなかった?

安武様
安武

谷間なく、ずーっと伸びてましたね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

それで、「あ、これ行けそうだな」と感じたのは何年後でしょう・・・?

安武様
安武

三木谷さんの感覚はわかりませんが、IPOの計画は2年経過してから着手して、3年3カ月後にはIPOをしているんですね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

そうすると1999年には・・・

安武様
安武

そのあたりには上場準備をしているはずです。その時には、「これはいける」と確信していたと思います。

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