ヤフー株式会社 代表取締役社長

宮坂 学

MANABU MIYASAKA

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インターネットは“蜘蛛の糸”、救ってくれると信じてた。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

宮坂さんとはヤフーで一緒に働いていた期間もありました。とはいえ、これをお聞きしたことはなかったと思います。そもそも、なぜヤフーに入ったのでしたっけ?

宮坂様
宮坂

いろいろ理由はあるんですけど、ひとつは「インターネットの仕事をしたかった」、というのがありますね。私は97年の6月2日の入社ですが、それ以前から、前職を通じて面白さや可能性に惚れ込んでいました。でも当時、インターネット専業の会社って、あまりなかったんですよね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

97年だと、たしかにないですね。

宮坂様
宮坂

あるとしてもネットスケープくらいで、ほかはどこかの会社の一部門でした。そうじゃなくて、私はインターネットだけやりたいと思っていたので、選択肢はヤフーしかありませんでした。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

ちなみに、それまではどこに勤めていたのですか?

宮坂様
宮坂

小さな編集プロダクションで、採用の案件や雑誌づくりに携わっていました。もともとそこで、インターネットの仕事を始めたんです。そして徐々に面白くなってきて、「できればこれだけやりたいな」、と強く願うようになりました。

そこで会社にインターネット専業の仕事をしたいと掛け合ったものの、本業の編集を優先しなさいと言われて・・・。ただそれはもっともな話で、当時はそうした体制が普通でした。日本中で“これからはインターネットだ!”と叫ばれてはいましたが、一方で“ほんとに儲かるの?”という空気もあったわけです。でも私は、それだけがやりたくて仕方なかったんですね。
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井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

私もすごくやりたかった一人で、インターネットの中でも検索に集中したいと思っていました。

宮坂様
宮坂

ああ、わかります。以前から、それひと筋でしたものね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

宮坂さんとしては「中でもここをやりたい」、という特定分野はなかったんですか?

宮坂様
宮坂

私は特にありませんでした。もうひとつ、入社する理由に戻るのですが、実はめちゃくちゃ貧乏だったというのも大きいです(笑)。前の会社の給料が、びっくりするくらい安かった。結局6年ほど勤務しましたが、締切があるので、だいたい土日のどちらかはほぼ出社するんですよ。それでいて残業代や休出手当とかは、一回ももらったことがありませんでした。新卒で入社したので何の違和感もなかったですし、世の中はそれが普通だと思っていたんですね。ボーナスも出たかどうか、記憶にないくらいです。

そういう感じだったので、生活がきつくて大変だったんです。このままこの仕事続けていって、はたしてやっていけるのかなと・・・。そんな時です、インターネットを知ったのは。面白いというのもありますし、一方で“蜘蛛の糸”というか、これにぶら下がって行くと何かあるのではと、夢が広がっていきました。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

そうした環境に6年ですか。けっこう長くがんばりましたね。

宮坂様
宮坂

インターネット関連の業務に携われたことが大きいですね。仕事面では、わりとやりたい放題やらせてもらえました。そうした意味では感謝していますし、仕事に関しては不満は無かったんです。でも、とにかく生活が厳しくて・・・。だいたい就職して2年くらいまでは、家にお風呂なんてなかったですからね。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

えーっ!

宮坂様
宮坂

はやく風呂付きに住みたいなと。それが当時のささやかな夢でした(笑)

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

じゃあ家賃は4万円とか、そんな感じですか?

宮坂様
宮坂

当時は京都から大阪に通っていましたが、家賃2万4千円ぐらいでした。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

それは安いですね・・・。

宮坂様
宮坂

風呂無しの共同トイレです。“めぞん一刻”のマンガに出てくるようなところでした。京都大学のすぐそばだったので、外国人留学生をはじめ、外国の人が多く住んでいましたね。

ここですごい体験をしたのですが、夜に寝てたら、廊下から“ヒタヒタヒタ、ダーッ”と不穏な音がするんですよ。犯罪でも起きているのかと思って、バットを持って、外へ出たんですよね。そうしたら野良犬が紛れ込んでいて、パニックになって壁にぶつかっていた(笑)。それを見て、さすがに「ここはもう出た方がいい」と思いました。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

とは言っても、当時のヤフーはまだ小さい企業だったはず。ヤフーが成長して給料も上がりそうとか、予感は入る前からありました?

宮坂様
宮坂

いや、確信は持てませんでした。アメリカでの急成長は知っていましたが、「いまよりはましかな」くらいの気持ちでした。

井上(ユニバーサルナレッジ)
井上

インターネットの広い領域の中で、手がけてみたい分野は想定していましたか?

宮坂様
宮坂

いえ、入れていただければ、もう何でもやるつもりでした。とにかくこの環境から出なければという思いが強く、そのためにはインターネットへのキャリアチェンジしかないと考えていたわけです。前職での編集制作の分野では才能の限界を感じていたこともあり、転職を急いだという事情もありました。

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