ヤフー株式会社 代表取締役社長
宮坂 学様
MANABU MIYASAKA
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「井上社長はこうだった」、我々には残す義務がある。
トシ
井上雅博・前社長(以下、井上さん)が急逝されましたが、彼はあまりメディアに出ず、何も言わずに旅立ってしまったイメージです。だから宮坂さんや私のように、身近で働いていた者が「井上さんってこういう人だったんだよ」という事実を残しておくべきだと。むしろ、それは義務とも言えるでしょうか。今回は、彼の功績や人物像について、語り尽くしたいと思っています。
トシ
最初は何で知ったんですか?
宮坂
アメリカにいる井上さんに近い人から、メッセンジャーで亡くなったことについて連絡が来たんです。記事も出ていると教えてもらい、ああ、本当なんだと。ジェリー(ジェリー・ヤン/ヤフー創業者の一人)からも間違いないと聞いていたので、早い時期に知っていました。
退社後、定期的に相談。切れ味がさらに増していた。
宮坂
実は私、井上さんが辞められた後も、年に2回くらいお会いしていたんです。アドバイスをいただいたり、やっぱり社長同士でないと話せないことって、あるじゃないですか。
トシ
それはありますよね。
宮坂
これってどうですかね、とセカンドオピニオン的に相談していました。そのたびに、相変わらず頭が切れるなと思うわけです。むしろ会社を離れて直接の利害関係がないだけに、現役の頃よりもっと切れ味が増しているんです。
トシ
現役の頃より、ですか。それは相当、尖ってそうですね。
宮坂
もともと、切れ味抜群でしたよね。なぜちょっと説明に目を通しただけで、そんなに的確なことがわかるんだろう、とか。その切れ味がさらに増している感じです。インターネット業界から離れているはずなのに、「いま技術的に、あるいは事業的にこう困っているんです」と伝えると、『そんなの、こうすればいい』と即答される。言われてみればたしかにそうだよなと、感心するしかなくて。
トシ
その感覚は、宮坂さんだけのものかもしれませんね。それは会社に来ていただく形でしたか?
宮坂
年に2回くらい、ご飯に行く約束をして、そこでいろいろ話していました。
トシ
宮坂さんが社長を引き継いだのが2012年でしたっけ?そこから年2回のペースで会っていたわけですか。相当に恵まれた時間ですね。
宮坂
本当に良かったです。世の中の経営者からすれば井上さんのアドバイスを一度は欲しいと思いますよね。それを私には気さくにやってくれました。最後はサンフランシスコにもよく行っていましたね、ジェリーとも会っていたようです。実は、サンフランシスコから帰る飛行機の中で、ばったり井上さんと会ったことがあるんです。乗ったら席が隣だったという(笑)。帰りの10時間、一緒にずっとお酒を飲んでいました。
トシ
私はまったくお会いできていないんですよ。モトヤフ(OB・OG会)でも会えるかと思ったらすれ違いだったり。ちなみに、私がヤフーを辞めてBaiduに行った後、1回だけ中国に招待したことがあったんです。
宮坂
そうだったんですか?それは知らなかった。
トシ
執行役員の志立さんと一緒に、ちょっと見に来てくださいよとお声がけしました。Baiduの創業者を紹介して。私はお会いしたのはそれが最後じゃないかと・・・その後も、六本木の交差点で車で信号待ちしていたら、目の前の横断歩道を歩いていった、というのはありますけど。それも2、3回。
宮坂
ヤフーを辞めても、会いたいという社員はたくさんいたと思います。井上さんのような経営者なら、いろいろ相談したいだろうし。怒られた経験ばかりの人も、懐かしがってると思いますよ。
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