ヤフー株式会社 代表取締役社長
宮坂 学様
MANABU MIYASAKA
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『一生ゆるさない』。怒られながら、認められた。
トシ
ところで宮坂さんが井上さんと話していて、「これは認められたな」という場面ってありました?
宮坂
怒られた時に、かえって認められたと感じていました。特に私は初期からのメンバーなので、よく怒られた記憶があります。いちばんキツかった言葉は、『一生ゆるさない』。すごく凹んだんですが、これも存在を認めてくれた証だと受け止めていました。
トシ
それって、何をやったのですか?
宮坂
「Yahoo!ファイナンス」の担当の頃の話です。当時、東証関連の情報は、電子データ化されていませんでした。そこで私は東証に毎日通って、オフィシャルペーパーをもらい、カレンダーにイベントを転記していたんです。この日に社名を変更しますとか、一部に新規上場しますとか。ところが、たまたま1日だけ通わなかった日があって、運悪くその日にソフトバンクの指定替えか何かがあったんです。ものすごく怒られました、『なんだこれは!』と。
トシ
全部、手作業で入力していたんですか。
宮坂
そうです。そうしたところで横着することを、本当に嫌がる人でした。早く自動化するように手段を考えましょうというのがエンジニアの発想だと思うのですが、当面は無理なんだから手でやれよ、と。そこはものすごいこだわりがあって、「仕様上、現段階では仕方ありません」では決して許さなかった。ユーザーに対してのクオリティは、一切、妥協がなかったですね。
トシ
機械でやる部分と人でやる部分があると、必ずどこかで相互にバランスを取らないといけないじゃないですか。判断する人の偏りにもよりますが、何でも機械化したい人と、人力にこだわる人と。井上さんはそのバランス感覚が絶妙だったのではないでしょうか。
宮坂
機械やソフトウエアには不可能はないと公言していた人なので、その段階ではまだできなくても、将来はユーザーの期待値に答えることができるというスタンスでした。
トシ
では、褒められたというエピソードは・・・?
宮坂
記憶にないです(笑)、本人は褒めていたのかもしれませんが。最近ではヤフーもコーチングを取り入れて、褒めて伸ばそうとしてますが、井上さんはそうした感じではなかったですね。ただ、決してパワハラ的に怒っているわけではなくて、認めてくれた上で怒ってると伝わって来ました。言葉にするとバカとかそういう言葉が多いわけですが、パワハラ的なバカじゃなくて、自分のことを認めてくれた上でのバカ。言葉自体は、相当酷いとは思うんですが。
トシ
私は褒められたと言うより、「良くやったお疲れさま」みたいな体験をしています。
宮坂
へぇ、そんなことが・・・!
トシ
以前、Overture JAPANを買収した時のことです。あのプロジェクトは“Otoroプロジェクト”って呼ばれていました。アメリカ人が寿司の大トロを“オトロ”と言うのにちなんだ名前なんですが、あれ、ほんとうに大変だったんですよ。
宮坂
というと・・・?
トシ
テレカンや米国出張が多いうえに、そもそも判断のレベルが高すぎて。最後は井上さんの決裁が必要でした。米国でYahoo! Inc.とミーティングした結果をもとに、夜に彼とテレカンして、次の日にどう話すか決める。それを毎日、連続でやるんです。それで半年から9カ月くらいかけて、ようやく終わった時に『みんなで寿司食いに行こうか』となりました。プロジェクト名に引っかけて、トロを食べに行ったわけです。その際に、『よくやった、お疲れさん』みたいな雰囲気になりました。後にも先にも、これ1回だけでしたが。
宮坂
それは嬉しいですよね。
トシ
ほんと、その時は嬉しかったです。
宮坂
昔から、すごく任せてくれていたと思うんですよね。そのぐらいのディールになると、普通、自分で行っちゃいますよね。夜テレカンするのも大変ですし、『オレが行って交渉するよ』となるのが自然じゃないですか。そこをあえて、『お前の仕事だからお前が一人でやれ』とトシさんにやらせる。そんな姿勢を感じますね。
トシ
あれはほんとにタフなネゴでした。
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